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人生は、自分が描いた通り
人生は、自分が描いた通りに進んでいる。
最近、とくにその感覚が深まっています。
思い通りのことも、
そうでないことも、
すべては、自分という存在以外の何かとなって
目の前に現れ、見せられているように感じます。
よきことも、そうでないことも。
だからこそ、
自分と関係のないことを見聞きしたときには、「それは私のことではない」と切り離すことも大切なのだと思うのです。
養老孟司さんの言葉から
昨日、北九州の大手企業主催による講演会にて、養老孟司さんのお話を伺う機会をいただきました。
会場にはご高齢の方が多く、その方々に向けて、まっすぐに語られているように感じました。
私もまた、
「目の前のことは私のこと。耳に入ってくる話も私のこと」
として、ありがたい言葉の数々を受け取りました。
心に残ったフレーズ
中でも、特に心に響いたのがこの一言:
「よいことも、わるいことも、人にわからないようにやりなさい」
わるいことは、そもそも人に言わないもの。
問題は「よいこと」。
“してあげたぞ”という態度や発言は不要。
謙虚であること。
「俺が、俺が」にならないこと。
これはつまり、若い人を育てよ、次の世代へ渡せというメッセージでもあるのだと思います。
感動できる自分を、大切に
もうひとつ印象的だった言葉がありました。
「毎日、何かに感動し、その自分を認めなさい」
年齢とは、あくまで肉体の年齢。
精神の年齢とは別物です。
むしろ、身体は若くても、精神がすっかり臆病になっている人もいます。
その意味で、高齢とは「心が老いること」なのかもしれません。
思い出す「青春の詩」
養老さんのお話を聞きながら、私はサミエル・ウルマンの『青春の詩』を思い出しました。
人は信念と共に若く、
人は自信と共に若く、
希望ある限り若い。
この詩の全文は、ブログの最後に添えておきます。
人生のドアはいくつもあります。
そのドアの先をワクワクしながら進める自分を信じていれば、人生は楽しみにあふれている。
そう思えるようになりました。
「教養」とは、何か?
講演後の質疑応答で、ある女性が語りました。
「先生の著書で出会ったこの言葉に、どれほど支えられてきたか——」
「教養とは、人の心がわかる心のことだ」
養老さんが“師”と仰ぐ方からいただいたというこの言葉。
それはまさに、知識ではなく、他者への思いやりと理解の心が教養なのだということを教えてくれます。
そう考えると、
日々の苦労や思うようにいかない出来事も、
**「教養がひとつ身についた証」**と思えるようになるのかもしれません。
人生に、無駄なことは何もない
昨日のご縁に、心から感謝しています。
人生には、やはり無駄なことなど何もないのですね。
少しずつ暑さが和らいできましたが、これからが本格的な夏。
どうぞ皆さま、くれぐれもご自愛ください。
青春の詩
サミエル・ウルマン(岡田義夫 訳)
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望——
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異への愛慕心」。
空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽迎。
事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く、
人は自信と共に若く、
希望ある限り若く、
疑惑と共に老ゆる、
恐怖と共に老ゆる、
失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、
美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば、
この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞う他はなくなる。
