人生は自分が描いた通り。
まさに、日々そう思う事が深まります。
思い通りのことも、
そうでないことも、
自分自身が自分という存在以外のもので、
目の前に現れて、見せられているんだな。。。と、
つくづく思っています。
よきことも、そうでないことも。
だから、自分に関係のないことを見聞きした場合、
それは、私とは関係ない!と切り離すことが大切なようです。
昨日、養老孟司さんのお話を伺う機会がありました。
北九州の大手企業主催の講演会のご招待券をいただいたのです。
主に、この企業のサービスご利用者のご家族などを対象にしたもので
ご高齢者の人が大多数でした。
そのご高齢者に向けて、
養老さんがお話をなさっているように思いました。
目の前のことは私のこと。耳に入ってくるお話も私のこと。
そのありがたいお話の中で特に心に残ったことは・・・・・
よいこともわるいことも、人にわからないようにやりなさい(笑)
わるいこと・・・は、多くの場合人に言うはずもありませんが、
よいことは「してあげたぞ!」的に言うな!!という意味です。
俺が俺がになるな、謙虚であれ。
若い人を育てよ!!ということだと思うのです。
そして、毎日、何かに感動し、その自分を認めなさい!ってこと
高齢者?って年齢のことをいう。
肉体の年齢であって、精神の年齢とは違うようにも思います。
と考えると、肉体は若くても、
精神が、もうすっかり臆病になっている人達。
サミエル・ウルマンの青春の詩を思いました。
下に記しておきますね。
そう、人生のいくつものドアを開けるには、
日々に感動して、ワクワク気分で!!
その自分を信じていれば、目の前に見えるドアの先は楽しむしかないことがわかります。
そして、質問タイムでの言葉。
養老さんが、師と仰ぐ方にもらったという言葉。
それは
「教養は、人の心が、わかる心のことだ!」
一人の女性が、
養老孟司先生のご著書でこの言葉を知って、これまで自分を支えてきた言葉である。感謝を申したい!
と。お話くださって出会いました。
知識を教養というのではない。
人に寄り添える慈悲こそが教養なんでしょうか?
なので、苦労も、思うように行かないことも、ダイヤモンドのような宝物。
それは、教養が一つ自分にも身についた。
と思えばいいって事ですよね。
人生、全く無駄がないと、
昨日のお話のご縁に感謝しました。
少し暑さも和らぐようです。
しかし、梅雨が明けるとここからが本格的な夏。
みなさま、どうぞご自愛ください。
青春の詩
サミエル・ウルマン (岡田義夫・訳)
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く
人は自信と共に若く
希望ある限り若く
疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。