自己肯定感についての解釈が広すぎて戸惑っています。
自己肯定感というのは、
決して自分に甘いという意味ではないはず。
なのに、自己肯定感を高めようと自分やまわりをごまかしている人の多いこと。。。
組織の中で、コミュニケーションの滞留を起こしている原因の一つが
この捉え方だと考えています。
いつも自己肯定感に満たされている生き方ってどうなんでしょう。
そんな人って少ないのではないでしょうか。
今日は、このブログを読んでくださる方と一緒に考えます。
世俗との縁を絶ち仏に仕える高僧でも、心の葛藤はあるといいます。
時には、自分の弱さに苛まれることもあると聞きます。
自己肯定感というのは、決して自分に甘くしていいという意味ではないはず。
自分に向き合うことを忘れ、
心の葛藤も、自分の至らなさも、なかったことにして、
自分のいいところだけを見つめ続ける。
それってどうなんでしょう。。。
なかったことにした瞬間、せっかくの人間としての厚みを得るチャンスをなくしてしまう。。
そう思えています。
自己肯定するとは、自分の弱みに向き合わず、
自分に虚勢という名の、傷ついている自分が美しく見える衣を着ることなのでしょうか。。。
自己肯定とは、自分に不都合なことを心の奥にしまい込んで生きることなのでしょうか?
最近は、人から叱られることが少なくなりました。
人を叱るほど、真剣に誰かと向き合うことができない?社会になりました。
私は、こう思います。
こんな時だからこそ、自分のことを何もかもお見通しのお天道様に畏敬の念を祓う。
これが大切なのだと思います。
見えない力に守られているという自信と、
天に恥じない生き方をするために、自分を見つめる勇気を持つこと
これこそが、大切なのだと思います。
自己肯定感。
捉え違いをすると、これほど怖いものはないと、我に指を向けながら、思う日々です。